繋がるヒトモノコト
今回はご縁のおはなし。
幼少期
わたしは昔お母さんに「この子は恥ずかしがり屋ですいません」と挨拶されて心の中でんんん?って思いながら恥ずかしがり屋さんを演じてた。まぁそっちの方が楽かなって笑
小学生になり
高学年の頃には身長が一気に158cmまで伸びてほぼ成人と同じくらいに。そのせいかミニバスに勧誘され、スポーツ少女時代へ。
ガリッガリの小学生時代。なんで小学生で吐くほどガチで運動してたのか未だに謎。
中学生になって
先輩や後輩や恋愛やらぶわーーーーっと色んなことが周りで巻き起こって、チカチカした世界だったので、避けていた大人しいわたし。
なんか思春期ってやつですかね?
小学生時代にガチでバスケやってたお陰で、監督に見初められて別の特別練習させられてたせいか、僻みだと思うけどいじめられて辞めちゃったバスケ。
今思うと続けてたらまた違ったのかな。
高校生になると
初めて彼氏が出来てそこから楽しくって楽しくって遊びまくった。朝帰りとかもしてたし学校も適当に行ってそれなりにテストでいい点取ってたからいいでしょって。今思うともっと真面目に色々やってれば、、、
でも初めて化粧したり、オシャレに目覚めたり、その頃は女性の階段登ってるなって思った。
家庭環境はまぁ傍から見ると複雑で、お父さんが昔から病気しててほぼお母さんが働いて生活させてくれてた。
大人になってからお母さんの最高月収聞いたら40万くらいだったかな?って
それ聞いて…( ゚д゚)ってなった。
でもお父さんの病院代、薬代、手術費用が膨らんでたから本当にギリギリの生活でわたしは子供ながらこんな時代に貧困層になるとはなーと悲観しつつ、どこか客観的であった。
お父さんが亡くなって
お母さんはどこかホッとした様子もあって、やっと幸せになれるのかな?って思ったらすごい複雑な気持ちだったけど。
お母さんには幸せになってほしい!
大学には行ってないので
キャンパスライフに憧れるけど、高校生で遊び過ぎたせいでお母さんのことを思うと働かなきゃって気持ちが強くて、そこからは自分のスキルアップの為に仕事をしまくった。
CADオペレーターから始まり
ショッピングセンターのインフォメーション
そして今の会社
職を変える時は勇気がいるけど
今よりも良い条件で働けるように!と思って精一杯働くと色んな資格も取れたりして、次に進みやすくなる。
そこで意識してたのは人との繋がり。
やっぱりご縁ってあるんですよね。
わたしが色々な接点を作ることで色んな人を紹介してくれたり、お母さんと仕事で繋がってる社長さんだったり笑
色々良くして貰って、貧困の子供時代とは違って大人って自由で素晴らしいんだなーって思った。
たくさんの人と出逢って繋がって思うのは
良いことをすると良いことが返ってくる
悪いことをすると悪いことが返ってくる
人も物も事もすべて。
いつからかわたしは奉仕するくらいの気持ちでいようと思いました。
損する方がいいと。損得勘定で動くのは違うけど、自分だけは損しないように!得したい!って思うと得しないんだよね。
世の中不思議だなぁ。
自分の私利私欲に飲まれて周りが見えなくなると人は離れていきます。嘘や偽りで固めてもすぐバレます。
わたしもそういう時代がありました。
でも人間だからそんなつもり無くても
結果そうなってしまうのなら今からでも遅くないので、自分に誠実な行動をしてみてください。相手にも誠実になりきっと相手も信頼してくれます。
1番言いたいのはTwitterなどでわたしと繋がってくれるフォロワーさんいつもありがとうございます。
毎日楽しくってみんなだいすきです♡